今日はお泊りのお客様の片づけを終えた後、当家のお墓の掃除をしてきました。
墓掃除のことをこちらでは「墓祓い」と呼び、お盆前には8月6日に行うのが慣わしです。
かく言う私も6日以来、頭の片隅では気にかけながらも、忙しさや暑さを言い訳に今日まで延ばし延ばしにしていました。
そんな怠け心を言い訳にさせない知恵が「墓祓いは8月6日!」ということなのかもしれません。
杉の枯れ枝を片付け、茂りすぎた草木を刈ったりむしったり、ホウキで掃き清めたり・・・。
そのうえ、当家の墓地の隣には数基の無縁墓があり、以前から当家で一緒に掃除をしています。
35度にも迫ろうかという猛暑の中、アブや蚊にまとわりつかれながら、2時間ほどの作業で墓祓いを終えました。
8日付けの朝日新聞には、墓石の中のお骨を散骨して、先祖代々の墓を閉じるという『墓じまい』の記事が出ていました。
墓の維持管理が困難になり、子孫にも迷惑をかけたくない・・・という、事情が綴られていましたが、どこも同じなのだなあと感じながら読みました。
現にこの地域でも放置されたり、撤去されるに至った墓を多く見かけます。
ただ、「♪千の風になって」のようにそこには誰もいないのだし・・・と言ってしまえばそれまでなのですが、お盆や法事をはじめ機会あるごとに親族や故人ゆかりの人々が集い自己のアイデンティティを確認したり、故人に思いを馳せたりする『場』、あるいは『対象』としてのお墓・墓地は(たとえ現代風に形を変えていくにしても)無くなるものではないだろう、と当家の先祖の名がきざまれた奥津城(おくつき)に手を合わせながら考えていました。
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