これは押し絵雛と共に酒田の女将の実家から譲り受けたものです。
もともとは錦絵を張り合わせたものを竹棒に挿して幕のようにして飾っていたそうですが、使い勝手と保存を考えて一対の屏風に仕立てました。
ほとんどは明治時代の印刷物のようで、歌舞伎を題材にしたものが多いのですが、お雛様風の図柄もあります。
特に赤色が鮮やかで、雛飾りもいっそう賑やかになります。
また、雛飾りの向かいには六曲一双の十二ヶ月花鳥図屏風も飾っています。
こちらは多聞館で長らく所蔵している間に傷みが激しくなっていたものを、去年表装をしなおしたものです。
酒井抱一の銘は入っていますが、真贋のほどは???です。
おひな様は明るく賑やかに・・・。
春を迎える喜びと共に心浮き立つ弥生三月です。
庄内各地では雛人形の公開展示やひな祭りにまつわるイベントなどが予定されています。
多聞館でも、本日2月27日《土》から4月 4日《日》までの期間、所蔵の雛人形を展示しております。
ご宿泊プランは⇒こちら
多聞館の所蔵の雛人形は3種類あります。
ひとつは明治時代に作られた『押し絵雛』。
型紙生地を貼り付けて作った人形を台に挿し立たものです。
多聞館の女将の祖母とその妹が酒田で作ったもので、3年ほど前に女将の実家から受け継ぎました。
お雛様以外にも、三番叟や歌舞伎のキャラクター、舞妓姿の人形などもあり賑やかです。
私の祖父が求めたものです。
残念ながら、多くが毀損してしまい、写真の2体と右大臣・左大臣しか残っていません。
私の父が姉の誕生を機に求めたものです。
そのほかに、祖母が作りためた『木目込み人形』や『博多人形』、祖父が戦時中に求めた『シナ人形』なども一緒に飾っています。
雛人形を飾り終わると屏風を立て、雛菓子や雛膳を供えてさらに賑やかになるのですが、 その様子はまた次回にお伝えします。
2月1日・2日は鶴岡市黒川地区にある『春日神社』の王祇祭です。
春日神社の「神事能」である『黒川能』は500年以上の歴史を持ち、昭和51年に国の重要無形民族文化財にも指定されています。
王祇祭では氏子達が上座と下座にわかれて、それぞれの「当屋」において夜通しで能と狂言の奉納が行われます。
私も今回、下座での奉納を見学させていただきました。
観能の前に春日神社にお参りしてから、神社のすぐ向かいにある『王祇会館』を見学しました。
王祇会館では、黒川能で実際に用いられる装束や能面などの展示のほか、祭りや能にかかわる人々の様子を記録した映像も公開されています。
映像には、民俗学の大家・宮本常一氏の監修による40年以上昔のものもあり、当時の様子がとてもよく伝わってきます。
また、黒川能にちなんだグッズや関連書籍などを販売しているショップもあり興味を引きました。
その後、今回お世話になる下座当屋を務められる清和治四郎氏のお宅に伺ってご挨拶と奉納をおこなって、ご接待を頂戴しました。
こちらでは事前の「豆腐焼き」「豆腐煮」行事でつくられた豆腐とゴボウに「二番」という熱い汁をはっていただくのが恒例です。
ちなみに『一番』はお椀でいただく熱燗です。
そしていよいよ黒川能が奉納される会場へ。
今年は公民館が会場です。
当屋の自宅で行うよりはかなり広めの会場ですが、午後6時の開演時にはおよそ200名の観客でびっしりとなっていました。
最初は『大地踏み』。
女装した4歳の男児が衣を広げられた王祇様(ご神体)の前で元気に演じました。
続いて『式三番』。
上野由部太夫の『翁』、清和政俊氏の 『三番叟』を観ると、「今度もまた黒川能に来たなあ」と感じます。
引き続き、脇能の『高砂』。
去年よりも木守の老人夫婦がぐっと若くなっていました。
その後「中入り」となり、舞台は宴会場に早替わりです。
観客にも豆腐と酒が振舞われていました。
再び舞台が整えられると、ここからは夜通しで狂言4番と能4番が演じられます。
演目は・・・
・三本柱(狂言) 範頼(能)
・瓜盗人(狂言) 杜若(能)
・茶壷(狂言) 鐘巻(能)
・こんかい(狂言) 嵐山(能)
中でも圧巻だったのは、上野太夫がシテを務められた『鐘巻』です。
白拍子に身を変えた怨霊が乱拍子を舞いながら鐘の中に入る場面では、満場の観客が皆、意気を飲んで見守っていました。この能を目的にされていた方も多かったようで、深夜3時頃にもかかわらずこのときが一番の混雑振りでした。
また、個人的には、80年ぶりの上演とも聞く『範頼』が印象的でした。
悲運を予兆するようなシテ(範頼)の憂いと悲愴感が終始伝わってきて、終始、緊張感を持って観ていました。
今年も、王祇祭・黒川能を堪能させていただきました。
関係者の皆様に心から感謝申し上げます。
今朝は、ご宿泊いただいていたお客様をご案内して、羽黒山の五重塔まで行ってきました。
参道を歩くのは、元日の未明に松聖や若者頭たちとともに下って以来です。
そのときよりも雪はずいぶん多くなっていましたが、多くの人たちが歩いたあとが踏み固められており、五重塔までは難なく歩いていけました(もちろん長靴は必須です)。
参道への入り口である随神門前も きれいに除雪されていました。
継子坂(ままこざか)も雪の小道。
石段のときよりも ずっと少ない歩数で下れます。
末社の軒下には 屋根からの雪が山を作っています。
祓川(はらいがわ)にかかる太鼓橋も欄干の一部が見えるだけです。
やはり暖冬なのでしょうか。
須賀の滝も祓川もこの時期にしては水量が豊富なようです。
12月にドカッと降った雪は相当重かったのでしょう。
山内のあちらこちらで倒木が見受けられました。
そして、国宝五重塔。
幾百回の冬をそうして過ごしてきたように、 この冬もまた、風雪をものともせずに凛とそびえ立っていました
ご案内したお客さまたちも感動された様子で見入っていました。
余計な説明など無用の、圧倒的な存在感です。
羽黒山五重塔は 季節によりその趣を変えますが、雪の五重塔はまた格別の魅力があります。
ぜひ、お訪ねください。
明けましておめでとうございます。
新年が皆様にとって佳き年となりますように祈念申し上げます。
さて、大晦日から元旦にかけて北日本の日本海側は爆弾低気圧の通過にともない、大荒れの天気になりました。
交通機関も大幅に乱れ、帰省や行楽の足にも大きく影響が出たことでしょう。
そんな『冬の嵐』のなか、羽黒山山頂では『松例祭』が行われました(『羽黒山松例祭』の概要については⇒こちら)。
午前11時過ぎ、祭りの舞台のひとつとなる『補屋(しつらえや=しづらや)』に百日行(『冬の峰』)の最終日を迎えた位上・先途の両松聖を迎え、若者衆一同と共に祈願を行い、いよいよ祭りの始まりです。
午後3時前には、庭上(合祭殿前の広場)で前日に作っておいた『大松明=ツツガムシ』の一部を解体し、綱を短く切った『切り綱』を用意しました。
そして松聖による祈願のあと、切り綱は庭上に集まった見物客にまかれます(『綱まき神事』)。
この切り綱を軒先などに飾っておくと災難消滅や家運向上のご利益があるとされているので、まかれる切り綱を手に入れようとする見物客の熱気もすごいものがあります。
最後には数本の切り綱を相撲で争う場面も見られました。
また、7時頃からは4本の『引き綱』を大松明のどの位置につけるかを、若者頭が酒を酌み交わしながら決める『綱さばき』が行われました。
それぞれの若者頭の責任とプライドがぶつかり合う真剣勝負。赤々と燃え上がる焚き火の炎と、次々に『大椀(だいわん)』に注がれる酒が熱気に拍車をかけます。
その後、大松明を立てて焼き払う場所に穴を掘る『砂はき行事』や、大目付が若者頭に祭りの定め事を言い渡す『御定目(ごじょうもく)』などを経て、いよいよ祭りのクライマックス『大松明引き』です。
いったん解体されて死んだはずのツツガムシが夜になると息を吹き返します。
そのツツガムシ(=悪鬼・災厄の象徴)をもういちど大松明に作り直し(『まくり直し』)焼き払うことで、ツツガムシを完全に退治するのが『大松明引き』です。
合祭殿の中で進行している『験競べ(げんくらべ)』の中で吹かれる五番法螺を合図に、火のつけられた位上方・先途方の大松明がいっせいに引き出され、起こし立てられて燃やされます。
大松明引きが終わり、若者衆の大半が綱を担いで山を降りた頃から、山頂ではもうひとつの行事である『国分け神事』と『火の打替え神事』が静寂のなかで行われました。
神事の結果を宮司に報告する『御披露』、『昇神祭』、精進落しの『にしの寿司』を経て、満願成就した両松聖は、小聖、稜持(かどもち)、若者頭らとともに久方ぶりのご自宅へと戻られました。
これで今年の松例祭は無事に終わりました。
あとは各町で頂いた引き綱を飾ったり、各種の祝い事や反省会などが続きます。
今日は羽黒山山頂で、悪鬼(=ツツガムシ)を模した大松明(おおたいまつ)を作る『大松明まるき』が行われました。
早朝、山中の『斎館』に集合した上四町と下四町の若者衆は、まず松聖より挨拶を頂き、その後大松明の部材となる網・簾・綱を山頂まで担ぎ上げました。
そして夕方までかかって、担ぎ上げた部材を古くからの慣わし通りに用いて、巨大な大松明を作り上げました。
作業の途中、明日には百日行の 満願を 迎える松聖のおふたりが拝所を巡っていらっしゃるお姿を見かけました。
真摯な祈りの姿は、理屈無く人の心を打ちます。
大松明が出来上がると、松聖と小聖、それに松打が庭上に現れ、祈願を行いました。
そして祈願終了と同時にふたりの松打は大梵天まで駆けていき、御幣を吊るし上げる早さを競う(『松の礼』)を行いました。
その後、参加者一同はお神酒と昆布、丸飯を頂く『榊供養』を行いました。
今日作った大松明(=ツツガムシ)は明日の午後には切りきざまれ、一部は切り綱として参詣者にまかれます(午後3時)。
夜に復活したツツガムシは、大松明に作り直されて焼き払われます。
この一連の作業・行事には悪魔退散・災難消除の願いがこめられています。
明日から元日にかけては、大荒れの天候になる予報が出ています。
松例祭・初詣に羽黒山に参詣の方はどうぞお気をつけてお越しください。
明日からは松例祭の奉仕で羽黒山山頂に詰めっきりになるので、今日は正月を迎えるための準備をあれこれ行いました。
まずは館内あちらこちらの松飾り。
松とユズリハ、それに葉牡丹などの花を添えにして女将が鉢に生けたり、玄関の柱に飾ったり。
ほんの少しの飾りながら、正月ムードがぐっと高まります。
また、茶の間の大掃除の後、床の間の掛け軸を正月仕様に替えたり、神棚の切り下げ(御幣)を新しいものに替えたり。神様と共に新年を祝うという感覚はやはり日本人です。
それから、業者さんなどから頂いた来年のカレンダーにひもを取り付け、館内各所の今年のカレンダーと交換して回りました。
多聞館では頂いたカレンダーは、感謝の意味を籠めて全て館内のどこかに掲示しています。
不景気の昨今とは言うものの、多聞館では今年は去年以上のカレンダーを頂きました。
年賀状の枚数の増加も含め、お付き合いの広がりのあったよい一年だった証でしょう。
年末年始にご利用いただくのお客様に向けて、食材の準備も行いました。
雑煮用のもち米を研ぎ、干し唐鳥(芋茎=芋の茎)を戻し、塩もたしの塩だしをして・・・
他にも各種の山菜の塩出しをしたり 、黒豆を煮たり・・・。
次々にやるべき仕事が湧いて出て、「これでよし」というきりがありません。
とはいえ、明日からは家を留守にするので、心苦しいながらあとは全て女将に任せることになります。
毎年同じように繰り返している多聞館の年末の風景です。
年の瀬も押し迫り、大晦日から元旦にかけて行われる『羽黒山松例祭』もすぐそこまで迫っています(『松例祭見学案内』は⇒こちら)。
今日は上町・下町の若者頭が羽黒山山中の斎館に集い、30日の『大松明(おおたいまつ)』まるき(=作り)に使用する『網」と『簾(す)』を作る『網漉き行事』が行われました。
斎館には『冬の峰』と呼ばれる百日行に臨んでおられる 松聖のお二人が参籠されています。
朝一番に参加者一同は松聖に挨拶した後、松聖によるご祈祷を受けたのちに作業に入りました。
斎館の大広間の畳をはがした床の上に、神社の方たちが用意しておいてくださった木枠が設置されています。
それを使いながら、約4メートル四方の『網』を玉縄だけで編み上げていきます。
手は荒れるし、足腰は痛むし・・・一日がかりの重労働です。
(なぜか『網』は『漉く』といい、『簾』は『踏む』といっています。)
30日に作る大松明(=ツツガムシ)の顔(頭)に網が、胴体に簾が使われます。
夕方、ようやく編みあがった網は 威風堂々とした存在感が漂います。
小さく折りたたもうとしても、人が抱えきれる大きさには収まりません。
おそらく重さも15貫目(60キロ)は超えているでしょう。
30日には若者の代表が、この網を山頂まで担ぎ上げることになります。
大丈夫かなあ~?
作業終了後には、松聖によるご祈祷を受け、その後は祝宴を行ってから山を下りました。
網漉き行事を終え、松例祭本番に向けた緊張感も高まってきました。
今日は冬至。
一年でもっとも昼の長さが短い日です。
「冬至にゆず湯にはいったり、かぼちゃを食べると風邪をひかないとい」とは、全国的に言われていることのようです。
ここ庄内では、冬至にあずきとかぼちゃを甘く煮た『冬至かぼちゃ』(一般的には『いとこ煮』というようです)を食べると風邪を引かないとか、中気(=中風)にならないと言われています。
科学的に見ても、かぼちゃに含まれるカロチンには免疫を高める作用があるし、かぼちゃ・あずき双方に多く含まれるカリウムは、体内の塩分を排出し高血圧を防ぐ作用があるそうですから、あながち迷信とも言い切れないようです。
冬はこれからが本番ですが、日の長さは確実に日一日と長くなっていきます。
『冬来たりなば春遠からじ・・・』ですね。
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